ところで不思議なことに、蜆塚遺跡には釣針が発見されていない。今日魚は釣るというのが常識であるが、蜆塚人は釣針を知らなかったのだろうか。磐田市石原貝塚では立派な釣針が出土しているのであるから、蜆塚人が釣針の存在を知らなかったはずはない。この点で注意されるのは、長さ四、五センチメートルで太さ二、三ミリの針状の骨製品である。この中央部に糸を結びつければ釣針として使えそうである。それにしてもなおその例数はきわめて少ない。釣るよりも突くという漁法が、蜆塚では卓越していたということなのであろうか。
第6図 蜆塚遺跡出土の漁撈の道具類(浜松市立郷土博物館蔵)
上段 もりまたはやす,下段 石錘と土錘