蜆塚遺跡の貝塚を構成する大量の貝殻は、そうした採集活動による食糧のいかに多かったかということを示す好例である。しかしわれわれの目には驚くほど多量に映った貝殻の量も、長い年月の集積の結果であることを考えると、それは逆に捕食された量は実は大変少なかったということもいえるのである。無意味かも知れないがつぎのような計算をしてみよう。蜆塚の貝殻の量は、多く見積っても一五〇〇立方メートルである。貝層が形成されたのは、主として第三期から第八期にかけてであるが、この内第六期と第七期は顕著でないから、貝類の捕食はあまり行なわれなかったと考えられる。すると盛んに捕食された時期は第三・四・五・八の四時期となる。一期の継続時間が問題となるが、一五〇〇立方メートルは一期につきほぼ四〇〇立方メートルになる。もし一時期の継続時間が、土器型式の継続期間(本章第二節一〇三ページの数値を認めるとすると平均約一五〇年)に大体等しいとすれば、一年間に捕食された貝の量は、貝殻にしてわずか三立方メートルに過ぎないことになる。この量ではいかに人口が少なくてもとうてい生命は維持できないだろう。