[調理法]

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 以上のような、狩と漁撈と採集の生産活動によって得られた食糧源は、どのようにして食べたのであろうか。植物性のものには生食したものがあったであろうが、多くは火を通したと考えられる。【獣類】獣皮を剝ぎとるために石匙または皮剝ぎと呼ぶ石器が使われたといわれているが、蜆塚遺跡にはそうした石器は発見されていない。肉は火にかざして焙ったことが考えられる。骨は小さく破砕されている。わざわざ破砕したのは、骨の髄を取り出したり、これを煮てスープ状の汁を作るためであるともいわれている。
 
 【魚類】魚類は骨がよく残っているところをみると、生で食べたか土器で煮て食べたものと考えるほかないが、焼いたり燻製にしたりすることもあったはずである。魚類の骨が多く検出されたのは、第三期から第五期にかけての貝層であって、それ以降の貝層中での検出はほとんどないようである。魚をその時期には食べなかったわけではなく、おそらく骨の残らないような食べ方(燻製とか焼いて食べるような)をするようになったからではなかろうか。
 
 【貝類】貝類は大体煮て食べたと思われる。生食するためには殻を無理にこじあけるか、破砕してしまうほかないが、貝塚から発見される貝殻にはそうした痕跡がない。焼けた貝殻が小さな塊状をなしている部分が時々発見されたが、それはそこで火をたいたためであって、貝を焼いて食べた跡とは思われない。煮るためにはもちろん土器が使われたであろう。