普通教科書などには、縄文時代の住居は地面を掘りくぼめて作る竪穴式のものであったと解説されている。しかし蜆塚遺跡で発掘調査された住居跡は竪穴式ではなかった。発掘してゆくと、まず、径五〇センチメートルほどの大きさに赤く焼けた部分が発見される。焼土の厚さは一〇センチメートルくらいにおよぶ。これを中心にして注意深く水平に掘り拡げてゆくと、地山の黄褐色土に黒土や貝殻の落ち込みのあるのが確認されてくる。この落ち込みは径二〇センチメートル内外で、焼土の面を基準にして三〇センチメートルから四〇センチメートルの深さがある。そしてこの落ち込みは、焼土から二メートルないし四メートルの範囲内に長方形もしくは円形に配列している。このほかには遺構らししいものがない。焼土は炉跡、黒土や貝殻の落ち込みは、かってそこに掘立柱が立っていた柱穴と考えられる。柱穴の外側はそのまま当時の地表面につづいていたらしい。このように、地面を掘り下げないでそのまま床としている住居跡を、平地式住居跡というのである。