上屋の構造

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 さきに、柱穴の外側にすぐ接して細い杭列跡の検出された例のあることを述べたが、この場合には壁体があって、その上に屋根がのっていたと考えることができる。蜆塚ではこのほかに周堤と柱との間隔を示す証拠はないので、上屋の構造を考えるのは非常に困難である。現在蜆塚遺跡には、後藤守一氏の設計によって、切妻式で妻入りの天地根元造りの復原家屋が建てられている。しかし、床面の拡がりが柱の外側へあまりおよんではいなかったらしいという点を重視すれば、柱の外側に四面を取りかこむ壁体を考えその上に屋根をのせるような、かなり発展した構造を復原することも、十分可能ではないかと思う。