さて、住居跡・貝塚・墓地という集落構成要素のあり方は、つぎのようである。まず住居跡は第一貝塚の南縁から西南に延びて、第二貝塚の東半部にいたる一群と、第三貝塚の西縁に沿って南北方向につらなる一群とにわかれている。それぞれの群の中では、住居跡が相互に相接しあるいは重なりあっていて、何回か建て直された結果の姿を示している。この二つの住居跡群に囲まれた中央部は、十分調査し尽くされたわけではないが、そこには住居跡の存在が知られていない。そこでここが集落における公共広場にあたり、会議や儀式の行なわれた場所だという風に考えられている。