【伴出品】副葬品と確認できる例はないが、つぎの三例は身体装飾品が伴出している。第一例は成人男性骨の膝頭と胸のあいだのあたりに硬玉製大珠(曲玉)一個が発見されたもの、第二は性年齢共に不明の肋骨に近く蠟石製丸玉一個をともなった例、第三は老年男性の左腕に二個右腕に一個の貝輪を着装していた例である。いずれも生前身につけていたものをそのまま葬られたと想定され、埋葬に際してわざわざそえられた「副葬品」とは考えがたいものである。
【合葬】さきに伸展葬の二体が合葬されていたことについて触れたが、この合葬例については、発掘当時から大分騒がれた。それはこの二体が男性と女性の組みあわせであったという理由によるのだが、さらにそれが二十歳台の若者同志であったという年齢判定を知れば、一層興味が湧くことであろう。合葬例は大人と小児という組みあわせが多く、親子であろうという解釈も成りたつのであるが、同世代の男女ということになると同族関係か配偶者ということになるだろう。いずれにしても何か特別の理由があって死期を等しくした二人であるが、別々の穴に埋葬されずに同じ墓穴に入れられたことに特別の配慮があったのであろうか。【墓標】墓地はかなり密集しているにもかかわらず、重複している例はほとんどないようである。また、埋葬施設の直上から円礫群が発見された例が多い。こうしたことから、墓地には何か墓標のような目印になるものがあったのではないかと思われる。
以上のことから、蜆塚人は死者が出ると、集落に近い場所(時には住居の中)に、小さな墓穴を掘り、手や足を折り曲げて詰め込むように埋葬した。その人が身につけていたものはそのままつけて葬ることはあっても、副葬品はそえることをしなかった。墓地はおそらく小さな土饅頭として盛り上がっていて、その上には小石をのせたり、木の枝でも立てたりしてあったものと想像される。われわれはさらに、そうした埋葬に際してどのような儀式が行なわれたかを知りたいのであるが、このことに関する手がかりはまったくないといってよい。
第10図 蜆塚遺跡発見の埋葬人骨
上段 屈葬老人男性 下段 伸展葬青年男女合葬