発見された資料は、以上のとおりであるが、これが蜆塚人の身体を飾ったもののすべてではないだろう。腐朽して残らなかったものがたくさんあったに違いない。それは、今日の未開民族や手近なところではアイヌ人たちの様子をみれば明らかであろう。今日身体装飾品といえば、まず純粋に美しくみせるための飾りであるが、原始人たちにとってはそれは単なる装飾の意味だけでなく、同時に権威のシンボルであったり、呪的な意味をもつものであったりしたと考えるべきである。とくに硬玉製と透輝石製の大珠などは、容易に得がたい材質であって、発見例も他のものに比べて乏しい品であることなどから推して、蜆塚人の団を統率するような人物の権威を示すものではなかったかと推論されている。
第11図 蜆塚遺跡出土の身体装飾品(浜松市立郷土博物館蔵)