[身体装飾]

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 原始人たちは、身体を飾りたてることにずいぶんと気を使ったようである。蜆塚遺跡から発見された身体装飾品には、つぎのようなものがある。頭部に彫刻の施された骨製かんざし・土製耳飾り・硬玉製大珠(曲玉)・硬玉製曲玉・透輝石製大珠・蠟石製丸玉と曲玉・貝製腕輪(釧)・石製垂飾品・骨製垂飾品などである。これらの内、骨製かんざし(第11図下段下中)・透輝石製大珠(同図上段左)・石製垂飾品・骨製垂飾品などは、第三期から第五期つまり蜆塚前葉期の所産であり、土製耳飾り(同図下段左)・蠟石製の玉類・硬玉製大珠(同図上段右)は第九期、つまり末期のものである。そして貝製腕輪(貝輪)はほぼ全期間通じて使われていたようである(同図下段右)。
 発見された資料は、以上のとおりであるが、これが蜆塚人の身体を飾ったもののすべてではないだろう。腐朽して残らなかったものがたくさんあったに違いない。それは、今日の未開民族や手近なところではアイヌ人たちの様子をみれば明らかであろう。今日身体装飾品といえば、まず純粋に美しくみせるための飾りであるが、原始人たちにとってはそれは単なる装飾の意味だけでなく、同時に権威のシンボルであったり、呪的な意味をもつものであったりしたと考えるべきである。とくに硬玉製と透輝石製の大珠などは、容易に得がたい材質であって、発見例も他のものに比べて乏しい品であることなどから推して、蜆塚人の団を統率するような人物の権威を示すものではなかったかと推論されている。

第11図 蜆塚遺跡出土の身体装飾品(浜松市立郷土博物館蔵)