蜆塚人骨の研究結果によると、上・下顎骨に生前歯を抜いたあとが認められたという。これを抜歯といい、抜歯の有無を調べることのできた人骨の大部分に、抜歯があったというのであるから、蜆塚人たちの間には抜歯の風習が一般化していたということができる。歯の並び具合が検査できたのは、男女四体ずつの計八体で、抜かれた歯は犬歯に限られている。そして女性では上・下顎両方の犬歯を、男性では上顎の犬歯だけを抜除するという約束があったらしい。また、大正十一年(一九二二)に清野謙次氏らの発見した人骨には抜歯はなかったというが、大正九年(一九二〇)に榊原政職氏が発掘した女性人骨では、下顎の左右中切歯(中側切歯という報告もある)が抜除されていたという。この人骨は第一貝塚から発見されたらしく、第二貝塚から発掘された例とは、抜歯の様式が異なっている。これは、年代による違いではないかと思う。
【成人式】抜歯の風習は、東南アジア一帯の未開民族の間に広く分布している風習で、成人の儀式にともなって行なわれる一種の通過儀礼であるといわれている。日本で発見されている抜歯例は、中期に始まり後期から晩期にかけて盛行し弥生時代にも若干残っている。蜆塚遺跡の例は大部分晩期であろうということは、すでに述べてきたところである。また、抜除される歯の種類によって約三〇種の抜歯様式が知られているが、蜆塚遺跡例のように、犬歯だけを抜く様式は、蜆塚を西限とする東部日本に多い様式である点は、蜆塚人の文化を知るうえで大いに注意しておかねばならぬことである。