蜆塚第四期の貝層から一例、第九期の包含層から一例、計二例土偶残欠が発見されている。前者は頭部と両手両足を欠く文字どおりの胴体のみで、かなり写実的な中実の作りのものである。後者は、中空の作りで片方の足の残片にすぎない。土偶は、多く女性を象っており、女性の生殖力と結びつけて獲物の多いことを祈る時に用いたものであるとか、母系制的な社会を暗示するものであるとか、いろいろな考え方があるが、実はまだよくわかってはいないのである。いずれにしても当時の信仰と結びついたものに違いない。
【石棒】なお、本節で取りあげるべき資料として、わずかな例であるが石棒と呼ばれるものがある。それも小さく割れた残片であるが、注意すべき点は紅簾片岩と思われる赤色の石材を使っている点である。石棒が実用品ではなさそうだという考え方からすれば、視覚的効果をねらっているものとして意味のあることだったといえよう。石棒の年代は、第九期である。