明治時代の後半から、大正年代にかけては、縄文時代人の人種に関する議論が、やかましくたたかわされた。縄文時代人は、アイヌの伝説にでてくるコロポックルという人種であったと考えるコロポックル説と、縄文時代人はアイヌ人であったというアイヌ説とが対立していた。これらの説はいずれも、縄文時代人が先住民族であって、後に渡来した大和民族によって北方へと追いやられたという思想を背後に持つ点で共通していた。論争自体の結着としては、アイヌ説が勝ち残ったといえるのであるが、その後各地の貝塚から発掘された人骨の研究が進むにつれて、縄文時代人は、アイヌ人とも現代日本人とも異なる特徴をもっているが、しいていえばアイヌ人よりも現代日本人に近いという結論が出されるようになった(清野謙次『日本原人の研究』)。これを原日本人説と呼んでいるが、この研究成果は今日の学説の中に継承され発展させられてきているとみてよい。