【遺跡群】つぎにこれらの分布状態や立地の仕方などに注意してみると、台地に入り込んだ大きな谷や縁辺部などに、いくつかの遺跡のまとまりを指摘することができる。そして第8表をこれに加味してみると、各群にはそれぞれ少なくとも一遺跡ずつ、中期と蜆塚第九期の遺跡が含まれることがわかる。他の時期ではこれははっきりしないが、少なくとも蜆塚第九期のころには、三方原台地の縁辺に四ないし五の集落があったということができる。したがって各遺跡群とそれを中核とした、半径約三キロメートルの範囲を当時の生活領域(テリトリー)とすることができる。第九期以前では、同時期の遺跡を各遺跡群ごとに指摘することはできない。これは、未発見のものを予想させると同時に、遺跡群をもうひとまわり広い範囲として把握すべきことを示しているともいえる。その場合には生活領域の広さはほぼ半径六キロメートルという広大なものとなる。
第12図 浜松市内縄文時代遺跡の出土品
上・中段 有玉西町欠下平出土(浦部ひで氏蔵) 下段 都田町川山出土(浜松市立郷土博物館蔵)
(表)第8表 近隣遺跡群の年代関係
蜆塚遺跡 | 近隣遺跡 |
第1期 | ⑧ | ⑨ | ⑬ | ⑯ | ⑲ | ⑳ |
2 | | | | | | |
3 | ⑰ | ㉑ | | | | |
4 | | ㉑ | | | | |
5 | | ㉑ | | | | |
6 | | | | | | |
7 | | ㉑ | | | | |
8 | | | | | | |
9 | ① | ⑫ | ⑭ | ⑱ | ㉑ | |
晩期後半 | ① | ③ | ㉑ | | | |