蜆塚遺跡の出土品の中には、前項で推測した生活領域内ではとても入手できない材質で作ったものが含まれている。黒耀石・透輝石・硬玉・蠟石などである。透輝石は大珠に、蠟石は玉類に加工されているが、これらは北方二〇キロメートルの引佐郡引佐町渋川付近まで行かないと、得られないといわれている。黒耀石は石鏃を作るのに用いられているが、黒耀石の産地でもっとも近いところは、愛知県北設楽郡下にある。しかしこれは質のきわめて粗悪なものでほとんど実用にはならないらしい。もちろん蜆塚の出土品中には見あたらない。とすると、蜆塚人は長野県の八ケ岳付近の黒耀石を入手していたとみられる。さらに、大珠に使われた硬玉ということになると、直線距離で二五〇キロメートルも離れている新潟県姫川でなければ産出しないことがわかっている(第14図)。