【青銅器】銅鐸・銅剣・銅鉾・銅戈など青銅器の存在は、古くから知られていたけれども、これが弥生文化の遺産であることが確証されたのは、前項で述べたように大正末年以後のことである。縄文時代のものとしては、山形県で青銅刀が発見されており、石刀と呼ばれる石器の中に内反りの作りのものがあって金属器の存在を暗示しているが、それらはごくまれな例としてあつかわれ、基本的な生産用具は石・骨・角・牙・貝を材質としているのである。縄文時代が石器時代ともいわれたのは、そのためである。
【鉄器】しかし、弥生時代の青銅器も、その大部分はすでに知られているように、武器か祭器であって、武器にしても実用というよりはむしろ儀礼用、祭祀用の色彩が濃いのである。したがって、弥生時代を西洋流に青銅器時代という時代区分にあてることは妥当ではない。太平洋戦争後、弥生文化の研究が進んで、生産用具に関する多くの資料が提出されたのであるが、それによると弥生文化はその出発点から鉄器をもっていたことが明らかにされている。鉄器ははじめ斧頭や槍鉋のような木工具が主で、弥生時代の終わりごろになってから鎌・鍬先・鋤先というような直接的な農業生産用具が登場してくる。したがって弥生時代のはじめにはなお鉄器の占める割合は大きくはなかったといえるのであるが、それにしても基本的な道具が、石器や骨角器から鉄器・青銅器に替えられつつあったという点は、大きな変化であり、それによって豊富な木製農具が作られたことは、縄文文化から弥生文化への変革を考えるうえでの重要な問題点である。