弥生文化の開始は、わが国における水田米作農業の輝かしい第一歩であった。第三章第九節において、西日本晩期縄文時代においてすでに食糧の生産体制にはいったらしいことを述べたが、その実体はまだ明らかにされていない。それは農耕社会としてまだ体制が十分整っていなかったことを暗示している。
これに対して弥生時代になると、集落の立地はもちろん、石製や木製の農耕具類、土器の形態分化、生産物貯蔵庫とみられる小形竪穴群・水田跡・青銅器にみられる祭祀形態など、遺跡遺物のあり方すべてが農耕社会の存在を背景としてはじめて統一的に理解され得るのである。それになによりもまず、米そのものが遺跡から発見されるのである。また弥生時代には機織の技術も習得されていたことが、木製織具の存在によって明白である。こうした高度な技術も農耕社会であればこそ、習得し得たといわねばならない。