浜松市内の中期弥生時代遺跡は未発見だが、浜名湖の入口に近いところに注目すべき遺跡が発見された。そのひとつは、舞阪町の白石山遺跡である。三方原台地の南側沖積地にはいく列かの砂堤列のあることは、すでに述べたが、その砂堤列は浜名湖入口に近いところでは、列状としての特色が消えている。しかしところどころには塚状の小丘が残存している。白石山遺跡はその西端にあたる小丘であったが、昭和四十一年に削平されてしまった。その工事の時土器の大破片が出土していることを、榎本迪夫氏が注意して採集されたのが、第18図5・6に図示したものである。発見当時の土器の出土状態によると、鉢形土器のうえに壺形土器がかぶせられていたようで、一種の甕棺墓であった公算が強い。とすると、この地方ではきわめて珍しい出土例になるわけである。土器は二つとも大形で、型式的な特徴は壺形土器に施された櫛描文と、両者の器形に強く出ている。これは明らかに中期であることを示し、愛知県の長床式と呼ばれるものに比定することができる。詳しくは中期後葉といえるものである。