伊場遺跡は、三方原台地南縁の海蝕崖から直下に望むような位置にある。蜆塚の時代にはこの崖のすぐ下まで太平洋の波が打ち寄せていたのである。その後海は徐々に後退したがその過程で何列かの砂堤列が形成されたらしい。海はふたたび陸地に向かって前進を始め、砂堤列の間には、水田に適した低湿地が形成されるようになった。伊場遺跡人たちはこの低湿地に目をつけて、現在国鉄浜松工場のあるあたりにムラ作りを始めた。そこは砂堤列のうち北から二番目の第二砂堤列が、天竜川の運んだ砂礫地帯と交わる付近にあたっている。したがって、遺跡からみると、西へ向かって低湿地がのびていて、そこへは古天竜川(いまの馬込川)の水がしばしば流入したと考えられる。遺跡はそうした水の取入口に近い位置に存在するわけである。なおこの付近は標高一・五メートル前後である(第19図参照)。