土器

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 以上述べた木製品・土製品・石製品・ガラス製品などは、弥生時代に一般的な遺物であるが、伊場遺跡ではその数はあまり多くない。出土品の大半を占めているのは弥生式の土器である。土器は生活用品としては、容器でありまた炊事用具である。形からみると、壺形と甕形と高坏形の三種に大別されるが、この三つの基本形態は、弥生式土器のいちじるしい形態分化であって、縄文土器が鉢形を基本形とするのと較べ、大きな変化とされている。壺形土器は一般に貯蔵形態と呼ばれ、主として貯蔵用の器と考えられているが、大小各様の区別があって、一定の用法に限定できるわけではない。甕形土器には、台脚がついていて外面は煤けており、内部には残滓が付着していることがある。これは、この種の形態が食物の煮炊きに専ら使用されたことを示すわけで、甕形土器は煮沸形態と呼ばれている。これに対して高坏形土器は、高い脚に浅い皿状もしくは椀状の器をのせた形をしており、みるからに物を供えるための器を思わせる。そこで、これを供献形態と呼んでいるが、文字どおり供え献ずる器ということだけに限定して考えてよいかどうかは明らかでない。以上三つの基本形態のうちで、壺形と高坏形の土器は文様や顔料によって、美しく飾られることが多い。これに反して甕形土器は多くの場合飾られない。この点にも用途の分化が暗示されているようである(森本六爾『日本農耕文化の起源』)。
 伊場遺跡の出土品は、以上であって、その種類や量ともに蜆塚遺跡にはおよばないが、そこに滲み出ている性格は、明らかに農耕社会の産物であるということである。