愛知県とのつながり

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 さて、これらの特徴の中で⑧は弥生式土器一般に通じてみられる特徴で、縄文土器との大きな相違点のひとつに数えられている。①は、その源流が近畿地方に求められるのであって、伊場遺跡の土器が大きく櫛描文土器群の仲間にはいる証拠とされるのであるが、この時期には近畿地方ではすでに櫛描文の手法はほとんどすたれていた。したがって愛知県下の土器群と密接に結びつく要素というべきであろう。⑤と⑥の点も同様にみてよい。
 ところが、②と③は、むしろ天竜川以東の要素につながるものであって、愛知県下の土器とは相違する特徴である。また、⑦は広く東海地方以東の東北日本弥生式土器に共通した特徴であるが、そのうち、台のつけ根に粘土紐を巻きつけて補強するのは、遠江地方に行なわれた独特の手法ともいわれている。そして④は、これまでのところ、伊場遺跡独自の手法とされているのである。
 こうしてみると、伊場遺跡出土土器は愛知県下のものに共通性を多く見出すのであって、大きくみてそれと同類であるといえる。愛知県ではこの時期のものを寄道式土器と呼んでいるが、伊場遺跡の土器はほぼ寄道式と同じ内容であるとみられるわけである。しかし、④と⑦の特徴は、寄道式土器にはあまり見うけない要素であるために、寄道式の亜種として「伊場式土器」という呼称が一般に行なわれている。一方②と③は天竜川以東につながる要素であると述べたが、具体的には、菊川式土器とか、登呂式土器と呼ばれている土器群にいちじるしい特徴とされるものである。したがって、菊川流域や静岡平野との交渉も持っていたことを知ることができる。