天王遺跡 安養寺遺跡 和田町山ノ神遺跡

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 戦時中、どこでもそうであったように、旧浜名郡長上村においても明暗渠排水工事が実施された。この工事中、天王町に住む鷹森泰郎氏は、与進小学校西方一帯の水田からおびただしい弥生式土器が出土するのを注意して、熱心に採集されていた。これが戦後、伊場遺跡の発掘調査を契期として天王遺跡と称されるようになった。その後昭和三十四年(一九五九)三月になって、市野町安養寺付近でも弥生式土器が発見され一部発掘調査も行なわれた(『長上郷土資料』ー安養寺遺跡についてー)。ここでは砂層の上に三〇センチメートルほどの青色粘土層が堆積し、これが当時の地表面と推定された。青色粘土層の上には有機土層が若干堆積しており、その上が耕作土である。この遺跡は、鷹森氏の発見した天王町の遺跡とともに大きくとりまとめて、長上遺跡群を構成するものと考えられる。また、現在浜松合同青果市場のある北側あたりでも、弥生式土器が発見されている。長上遺跡群はここまで含めて考えてもよいし、これは、後述する和田町木船出土の銅鐸と関連させて、将来和田遺跡群として把握できるようになるかも知れない。