飯田町の美輪潜竜氏は、昭和二十四年(一九四九)ごろから旧飯田村地内の各所から弥生式土器が出土することを注意して熱心な採集活動をつづけていた。その一部は飯田中学枚にも集められているが、昭和三十八年(一九六三)に新幹線工事中にも三か所以上から弥生式土器片の発見があったらしく、飯田中学校の生徒によって記録された。こうして旧飯田村地内で確認されている遺跡は、飯田町開戸・醴・山寺野北・山寺野南(第21図11)・寺西(同図13)・青屋町勘三郎西・三和町参野浦・村浦(同図12)の八か所である。これらの遺跡はその一つ一つをとってみると、規模がきわめて小さいようであって、それが比較的接近して散在しているということであろう。そこで、これらをひとまとめにして、飯田遺跡群とすることができる。また前項の山ノ神遺跡をここへ加えてよいかも知れない。