[吉影遺跡]

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 以上は、天竜川平野部の遺跡であるが、それとは別に、都田川流域にも有力な遺跡がいくつか形成された。中でも都田町吉影遺跡(第21図22)は、多くの資料を出してよく知られている。大正末年ごろから、細江町を中心とする地域を舞台として、月岡準三氏による採集活動が始められた。それは、都田川の改修工事が行なわれつつあったころのことであるが、その工事現場には月岡氏の姿がみえない日はなかった。引佐郡細江町岡地(第21図25)・茂塚(同図24)などではとくに土器の出土が目立っていたようである。改修工事が、旧引佐郡都田村吉影の椿野一帯におよぶや、おびただしい土器が発見され出して、月岡氏一人の手ではとうていそのすべてを採集しきれなかったということである。こうして月岡氏の許には完形土器と扁平片刃の磨製石斧、それに珍しい銅鏃だけが集められ、他の多くの資料は残念ながら新しい土堤の中に積み込まれてしまった。吉影遺跡は、都田川の流れが瀬戸の隘路にさしかかる手前の位置にあるが、そこは都田の盆地の入口にあたり、湿地帯の形成しやすい地点と考えられる。出土品中、銅鏃はもっとも注目すべき遺品である。遺跡の年代は土器の特徴が、長上遺跡群や飯田遺跡群のものとほとんど同じであるところからやはり後期後半に中心を置くものと推定されるのである(第22図上段)。

第22図 浜松市内出土後期弥生式土器

          上段 都田町吉影出土(都田中学校蔵)
          下段右 天王町出土(鷹森泰郎氏蔵)
          下段左 市野町出土(浜松市立郷土博物館蔵)