天竜川以西の後期後半の土器群は、相互に驚くほどよく一致した特徴を示している。器形・大きさ・文様などに顕著な共通性が認められるのは、土器作りの過程になにか強い規制力が働いていたものと思われる。その特徴は愛知県の同時期の土器とも共通している。ところが、天竜川以東のものと比べると、同じく遠江地方でありながらすでにかなり相違点がみられている。天竜川以東は大井川流域にいたるまでの地域内で、顕著な共通性が存するようであり、それは静岡平野のものとは若干相違している。北方山岳地帯では、磐田郡佐久間町平沢遺跡(平野和男『平沢遺跡調査報告書』)でみるとすでに長野県下特有の土器が存在し、平野部とはまったく異なった様相をとり始めている。このように、土器の上に表われている特徴の共通性に着目して、それを第24図に示してみよう。こうしてみると、浜松の地域は天竜川以東との結びつきよりも、愛知県下との関係の方が強かったことがわかるのである。第三章第八節でみたように、この地域はより西方との結びつきが強かったのであるが、弥生時代後期になるとさらにこの関係は深められたのである。このことをつぎに銅鐸のあり方からも跡づけてみよう。