前期古墳時代の社会

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 このような前期古墳の特徴は、各地の古墳にかなり斉一的に認められるのであって、そこに葬られた族長たちの間に有機的な連関を推測させる。その連関とは、おそらく大和朝廷による統一と、これに対する地方族長たちの服属という関係であったとみられる。前期古墳は各地に分布するとはいえ、その数はひじょうに少ないのであって、各地における階層分化がまだ十分進んでいないことを示している。また、前期古墳は、その外形が大きいにもかかわらず、内部の設備は実に簡素であり、墳丘も大部分自然の丘を利用して形を整えたという場合が多い。したがって築造のために投下された労働力は意外に少ない。そこには、古墳を無理やり大きくみせようとする意識が感ぜられるのであって、弥生時代以来の共同体の規制を突き破って成長しつつあった族長たちが、大和朝廷の存在を背景として、自己の権威を誇示しようとした面が強かったことを示している。反面、副葬品には宝器的な性格が推測されているが、それはむしろ生前かれが属していた共同体において、彼がはたしていた司祭者としての首長の権威を物語っていると解することができる。
 すなわち前期古墳時代は、ふるい共同体的関係の中に、大和朝廷を中核とした新しい専制的な支配を確立しようとする時代であったといえるのである。