③浜北市内野・赤門上古墳 全長五六・三メートルの前方後円墳である。後円部径三六・二メートル、高さ四・九メートル、前方部幅一四・七メートル、高さ一・一五メートル。周濠・葺石・埴輪はみとめられていないが、墳丘裾をめぐって円礫を敷きつめた部分が発見されている。内部主体は、古墳の長軸に平行して割竹形木棺が直葬されていたらしく、長さ五・二五メートル、幅六〇センチ、深さ一五センチの溝状部分が検出され、その底に木棺の一部らしい木質の遺存する部分があった。棺内からは、立派な鏡一面をはじめ銅鏃・鉄鏃・鉋・刀子(とうす)・大刀身・鉄斧頭・管玉などが出土し、棺外にも剣身・鉄鏃・銅鏃が置かれていた。この古墳は、天竜川の平野を見下ろす丘陵の先端に立地し、平野へ側面をみせている(下津谷達男他『遠江赤門上古墳』浜北市教育委員会)。
以上三基のうちで、松林山古墳はあらゆる点で畿内の代表的な前期古墳の特徴を具備しており、副葬品も優れているのに反し、経塚古墳と赤門上古墳は、立派な鏡(いずれも、これと同型の鏡が畿内の古墳から発見されている)が目立つだけで、規模も内容もはるかに劣っている。これが時代差であるか、被葬者の勢力や畿内勢力との関係を表現しているのか、まだ解明されていないが、いずれにしても三基ともに前期古墳としてはその後半期のものと思われる。