前期古墳時代の遺跡

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 浜松市内には前期古墳が発見されていない。遠江地方全体の前期古墳のあり方が、上述したごとくであったとすると、浜松の地はおそらく浜北市赤門上古墳の被葬者に代表される地方勢力の下にあったと考えるべきである。この時期の一般庶民の生活していた跡は、ほとんど明らかにされていない。しかし、地表に散乱している土器片や、偶然の機会に掘り出された資料によって、つぎの七遺跡の存在が知られる。
 
①豊町上石原遺跡(第29図1) 共同井戸を掘削中に土器類が出土し、藤田勝次氏が保存している。その大半(第25図13~16)は後述する古墳時代中期の資料であるが、若干前期の資料が含まれているようである。
②恒武町西ノ宮遺跡(第29図3) 温室の客土として掘りおこした粘土の中に、第25図8~10の土器類が含まれているのを注意して、松下福治郎氏が採集保管している。前期末か、中期初頭と考えられる資料である。
③三和町西之郷遺跡(第29図4) 新幹線の工事中に出土した土器片を、飯田中学校の生徒が採集した中に、前期の資料が若干含まれている。
④本郷町元西光寺遺跡(第29図5) 畑を切り崩して水田にしているところへ行きあわせて採集した土器が、美輪潜竜氏のところに保管されているが、その中にわずかながら前期と推定される資料がある。
⑤西伊場町下山田遺跡(第29図6) 大きな谷の入口に形成された古い砂州の上に残された遺跡で、大石矼三氏が採集された土器類を市立郷土博物館に寄贈された。それらはすべて前期の資料で中に小形丸底に近い坩がある。
⑥新橋町村東遺跡(第29図7) 三方原台地の南側沖積地に形成された砂堤列上に立地している遺跡で、前期と推定される土器片が採集されている。
⑦堤町村東遺跡(第29図8) ⑥と同じく砂堤列に立地している遺跡である。小楠清太郎氏が、自分の畑で発見した一括資料を、市立郷土博物館へ寄贈されたが、それらはこの地方の前期古墳時代の代表的な土器類である。その内のいくつかを第25図1~7に図示した(向坂鋼二「遠江の古式土師器」『考古学手帖』8)。