こうした古墳の変化は、第一に共同体的な体制の枠を破って成長した首長の力が、武力を背景としていよいよ強大になり、宝器に示されたような共同体的な権威を不要としたこと、したがって祭祀は形式化したことを示している。第二に、最大級の古墳をしかも全部盛土で築きあげるような大勢の労働力を、総動員できるほどの専制的な権力が、各地に確立されたことがわかるであろう。そして中期という時期には、大和朝廷による朝鮮半島への軍事的進出・中国への積極的な遣使といったような、国際的活躍も顕著になった。朝廷による真の国家統一事業が名実ともに完成したことを示すものにほかならない。