この古墳には、その名が示すとおり千人もの人の霊がこもっているという伝説がある。元亀三年(一五七二)の三方原合戦で最期をとげた人たちを葬った塚だといわれ、ここに九百九十九人を葬り最後に一本の松を植えて千人としたというようなまことしやかな言い伝えまである。いま墳頂には石碑が建てられていて明治三十二年(一八九九)の陸軍の機動演習が、三方原の古戦場を舞台に行なわれたことを記念し、千人塚の伝説にも言及している。しかし、すでに述べてきたように千人塚は立派な五世紀代の古墳であって、三方原合戦の戦没者を葬った跡などまったく残っていない。武田・徳川両勢の戦いが行なわれていた時には、千人塚古墳はすでに千百年余の年月を経ていたのである。千人塚の伝説は、三方原合戦の地がすでに人々の記憶から忘れさられてしまったずっと後世になって、巨大な墳丘に注意した人々がその由来を説明するために述作されたものに違いない。
第27図 有玉西町千人塚古墳と造出部の出土品(浜松市立郷土博物館蔵)