つぎに、千人塚古墳と同じく三方原学園の中に存在する瓢簞塚古墳をあげよう。これは市内では最大の前方後円墳である。かなり原形を損っているが、昭和二十三年(一九四八)当時には、全長四五メートル、後円部径二八メートル、高さ四・七メートル、前方部幅二五メートル、高さ二・三メートルであったという。葺石は散乱しているが、もと全面的に敷かれていたのであろう。西側のくびれ部で埴輪円筒列が二例確認されている。国学院大学考古学資料室が発掘調査したところ、内部主体は「木炭槨」(棺を木炭で包んだ施設)と呼ばれる構造で、後円部に三つの主体が認められたという。副葬品としては、立派な鏡板(装飾された轡の一部、第28図)と、鉄鏃・大刀身などが発見されている。この古墳の年代は中期としても終わりに近く、五世紀代後半と推定される(山口欣二・市川和男「三方原瓢簞塚古墳発掘概報」『上代文化』第二〇輯)。
第28図 有玉西町瓢簞塚古墳と出土の鏡板(国学院大学蔵)