[浜松地方の中期古墳文化]

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 古墳時代中期に入ると、天竜川下流域の台地縁辺部と、都田川流域に新たに古墳が築造され始めた。前期の段階では浜北市内野に赤門上古墳が一基作られただけであったが、五世紀代に入ると同じ天竜川平野部を地盤として、赤門上古墳の周辺(内野地区)・千人塚古墳とその周辺(積志地区)・磐田市銚子塚古墳とその周辺(寺谷地区)にまず古墳群の核が成立してきた。また、独立的な古墳としては、天竜市光明山古墳・浜北市於呂古墳・浜松市入野古墳などが築造されたし、都田川流域には新しく中期前半に引佐町馬場平古墳が、単独墳として成立し、中期後半には細江町陣座ヶ谷古墳・浜松市将軍塚古墳・都田山古墳などが、都田川流域の古墳群の核として形成されたのである。