後期古墳の特色

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 中期の後半ごろからとくに天皇陵は急に規模を縮小し始めた。天皇陵に限らず各地の古墳も急速に小形化してきた。その反面古墳の数は後期になると飛躍的に増加し、またそれまで古墳の営まれなかったような山間島嶼にも新しく古墳が築造されるようになった。その立地も、丘陵上や台地上のような目立つ位置ばかりに限らず、山腹や山麓の傾斜面などにも古墳が作られた。墳形は、前方後円墳がごくわずかで、ほとんど円墳ばかりとなっている。内部構造は、大部分横穴式石室でその中に箱形木棺や、まれに家形石棺などが安置された。副葬品では馬具や金環(金銅製の耳飾り)、それに須恵器(新しく朝鮮半島から伝わった登り窯で焼いたねずみ色の土器)などが普遍的なものとなり、鏡とか鉄製の刀剣・農工具類はむしろ少なくなっている。
 このように墳丘が小形化したのは、ひとつには横穴式石室の採用という点に起因しているともいい得よう。しかし本質的には古墳のはたした宗教的権威が薄れてきて、巨大な墳丘によって権威を誇示する意味がなくなったこと、同時に支配者層としては、支配権が安定して古墳による権威の誇示が不必要になったことに起因する現象であるというべきである。したがって前段に述べたような、規模の急激な縮小化、小規模古墳の飛躍的増大などの事象は、古墳が権威を誇示するための記念物から、本来的な墓への転化過程でもあった。