五世紀中葉に千人塚古墳が築造されてより、七世紀にいたるほぼ二世紀間にわたり、三方原台地の東縁、半田町から元城町にかけて総数一六三基の古墳が作られた。二世紀間とはいっても、五世紀代の古墳は三基にすぎず、六世紀前半に降っても一〇基に満たない。したがって大部分の古墳は六世紀後半から七世紀にかけて築造されたことになるのである。一五八基というのは昭和三十八年(一九六三)当時の現存古墳の数であって、かつては二〇〇基に近いものであったに違いない。これらの古墳を一括して三方原古墳支群と呼ぶ。
[三方原古墳支群]