①半田町半田山B群(第11表⑦~⑨) 総数一一基中、九基が遠州鉄道株式会社の宅地造成工事のため破壊され、その事前調査が行なわれた。内二基は調査の済まない内にこわされてしまった。第四号墳を除き円礫積みの横穴式石室と推定される内部主体をもつ小形の円墳であった。地山に掘り込まれた両袖式の掘り方と、敷石が良く遺存し、石室用材と思われる細長い円礫が散乱して発見され、中には原位置を保つものもあった。副葬品としては、須恵器四三・土師器九・玉類二二二・耳飾四・鉄鏃八などが出土した。第四号墳は、円墳とは思えない点もあり、内部主体も簡略化した粘土槨であった。主体部から導かれていたと推定される溝状遺構を調査したが、中に円礫がつまって墳丘裾におよび、その末端部や溝中から須恵器・土師器・鉄鏃・砥石などが出土した。主体部からは鉄鏃と刀子が発見された。第四号墳は出土須恵器から六世紀中葉と推定され、第七号墳がこれにつぎ、以上七基は六世紀末か七世紀前半の築造と考えられる。
第30図 三方原古墳支群の分布