以上の二基は、入野古墳につぐ時期に入るもので、古いグループに属する。これに対して、東名高速道路建設のため、事前調査した根本山南麓の小形古墳は、根本山から運んだと推定される割石で横穴式石室を作っていた。発見された副葬品は、須恵器・土師器・鉄鏃・刀子・金環・勾玉などで、後期古墳通有のものであった。須恵器からみて、六世紀末ごろの築造と推定されたが、相似た石室墳は根本山一帯にみられる。出土地点のはっきりしない須恵器の中には、七世紀後半のものも含まれているが、ほぼ六世紀末から七世紀前半にかけての築造であったと思われる。横穴式石室は、堀江の舘山寺裏山にある弘法穴古墳・村櫛の御山塚古墳・宇布見の白山神社境内古墳などにもある(『静岡県史』第一巻)。御山塚古墳では、五鈴鏡・直刀・耳環・須恵器などが出土しており、やや古い時期を示しているが、残余の小規模古墳はほとんど六世紀後半から七世紀にかけての時期のものとして大差ないと考える。
第33図 都田町中津郷ヶ平第6号墳出土の人物埴輪(鈴木常弘氏蔵)