以上の支群にはいらないが、特殊な立地を示す古墳に豊町の蛭子森古墳がある。これは昭和三十四年(一九五九)三月、土取作業中に発見された。【規模】昭和三十六年になって、これを発掘調査した結果、基底径二四メートル、高さ三・一メートル(推定四メートル)のかなり大きな円墳であったことが判明した。中心にはほぼ南北方向に長さ一一・四メートルの横穴式石室を構築しており、墳丘裾には幅四メートルの周濠がめぐっていたらしい。【副葬品】内部は古く盗掘されていたが、つぎのような副葬品が残っていた。勾玉一・ガラス丸玉一四・ガラス小玉五〇・棗玉二・金環三・鉄鏃三五以上・刀子五・直刀片四・馬具(轡)一・須恵器二一・飾鋲二、計一三八点以上である。これらの内須恵器には、少なくとも三型式にわたるものがあり、古墳が二、三世代にわたって使われたことが推定されている。【年代】そして石室の構造、全体の規模、副葬品などから総合して、蛭子森古墳の築造年代は六世紀中葉と考えられる。本墳は浜松市指定史跡として保存されている。
第34図 豊町蛭子森古墳の主な副葬品(浜松市立郷土博物館蔵)