[「遠淡海」古墳群]

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 浜松市域に分布する古墳を「群」としてまとめながら整理すると、以上のとおりである。これと同じような操作を繰り返しながら、さらに浜松市の周辺部まで視野を拡げて、古墳成立の基盤となった水系、沖積地をもとに、古墳支群を摘出すると、第14表のように一二支群にまとめることができる。その分布状態は第35図に示したとおりである。
 これらの支群は、さらに大きくつぎのようにまとめることができる。
 
①浜名湖西岸ということで、湖西支群と三ヶ日支群をまとめることができるが、この地域は奈良時代に浜名郡と呼ばれた地域にあたるので、これを「浜名古墳群」と呼ぼう。
②都田川流域は、地形的にもよくまとまっている。細江支群と都田支群をあわせて、「引佐(いなさ)古墳群」と呼ぶことにしよう。
③浜名湖東岸の地域は、地形的にも古墳の分布の上でも、まとまりのないところであるが、敷智北支群と敷智南支群をあわせて、「敷智古墳群」と呼ぶ。
④天竜川平野を取り囲むようにして、三方原支群・内野支群・麁玉(あらたま)支群・二俣支群・合代島支群・岩田支群という六つの古墳支群がある。これを少し大きいが「遠淡海古墳群」としてまとめることができる。

(表)第14表 遠江西部の古墳群


第35図 西遠地区の古墳群