古墳以外にこの時代の研究資料となるものは、市内にはあまり知られていない。もっとも重要な集落跡については、とくに不明な点が多いのである。現在市内で発見されているこの時代の遺跡としては、つぎの八遺跡をあげることができるが、いずれも土器片が採集されているだけで、正式な調査は行なわれていない。したがって住居様式などはまったくわからない。
①都田町吉影須倍神社西遺跡 土師器と須恵器(七世紀前半)
②豊町八幡南方遺跡 土師器と須恵器(七世紀前半)
③豊町隔離舎跡遺跡 土師器と須恵器(七世紀中葉)
④恒武町若宮八幡宮跡遺跡 須恵器(六世紀後半)
⑤恒武町西ノ宮遺跡 須恵器(七世紀中葉)。この遺跡からは前・中期の資料も出土している。
⑥青屋町勘三郎西遺跡 須恵器(七世紀中葉?)。この遺跡では弥生式土器も出土している。
⑦三和町西之郷遺跡 須恵器(七世紀中葉ー後葉)。この遺跡では前期の資料も出土している。
⑧新橋町村東遺跡 須恵器(時期不明)。この遺跡では前期の資料も出土している。
これらの遺跡が、大部分六世紀後半から七世紀中葉にかけての遺跡であることから、ここに住んだ住民たちの古墳が、前述した群集墳の中にいくつか合まれていることが想像される。