東方への発展

230 ~ 230 / 706ページ
 けれども、大和朝廷の勢力は、元来、近畿地方を中心として、主として西方に発展して北九州を包含するにいたったもので、その東方への発展はそれよりも若干遅れる態勢にあったことは、ごく自然のことであった。したがって、大和朝廷の国家統一が四世紀の初めに完成していたといっても、それは主として西日本についてのことであって、浜松市の属する東日本までがすでに大和朝廷の勢力下にあったとはいえないのである。