倭の五王

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 中国の史書には、五世紀のころ、倭(わ)の五王がつぎつぎと使を中国に派遣したことがみえ、その五王の名から考えると、これが仁徳~雄略天皇にあたるであろうとされている。そしてまた、国内的にも、世界最大の規模を誇る壮大な応神・仁徳天皇陵の存在や、『書紀』にみえている応神・仁徳朝の朝鮮半島服属の結果である文化発展の姿などをあわせ考えれば、大和朝廷の権威が、四世紀末から五世紀に最高潮に達したことは疑う余地がない。