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 整頓がかなり進んだ大和朝廷の国家組織では、全国は多数の国にわかれていた。その数は明らかでないが、後に令の制度で日本を約六十の国にわけたのよりもはるかに数が多かったことは疑いなく、大体一国の領域は、後の一郡ないし数郡にあたる程度のものだったらしい。これら多くの国々にそれぞれ国造が居るわけで、彼らは大ていはその地域国家の君長であった家柄であり、大和朝廷に服属した当初はほとんど独立的な封建領主のような性格を持っていたようである。それが、国家組織の整備と共に、しだいに中央の統制力が強化されて、一種の地方官のような形に変わってきたらしく、朝廷が国造を任命したり、交替させたりした例もある。