国造の職務

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 国造は、東日本では直(あたい)という姓を持つのが普通であるが、彼らは代々その氏の名や姓を世襲し、その地域の領主であるとともに、祭祀を掌る司祭者でもあった。しかし、朝廷は六世紀以降、これら国造の支配下にある土地を割いて朝廷領として屯倉(みやけ)を設けたり、人民の集団を部として指定して直接朝廷に奉仕させたりする政策を推し進めたので、国造の封建領主としての立場はしだいに弱くなり、逆に、これらの屯倉や部の管理を命ぜられたり、一族の子女を舎人(とねり)や釆女(うねめ)として朝廷に出仕させたり、領内の軍事力を組織して、中央の将軍の指揮下に征討に従事するなど、中央政府に奉仕する地方官的な性格を濃厚にしていったのである。