遠江の地域にあった国造として確実な文献にみえるものは、この遠江国造ただ一つであるが、このほかに、『先代旧事本紀』巻十の国造本紀には、なお二三の国造名がみえている。この『先代旧事本紀』(略して旧事紀)は、しかし、偽書であることがすでに明らかにされているものなので、これを信用することは史学の正道としてはできるわけのものではない。ただし、この『旧事紀』は、今日、平安時代の初期に、物部氏関係の人の手によって、記紀や自家の所伝を混合して、聖徳太子の撰とみせかけて作られたものではないかと考えられている。したがってその内容も、まったくの架空の作りごとではなくて、当時物部氏に伝えられていた伝説をも含んでいるのであろうと思われるし、ことに平安初期の成立という点からすれば、今日からみればこれも一種の古伝として取り扱うことも不可能ではない。
ことに、その巻十の国造本紀は、全国百数十の国造名を列挙した、他に類をみないまとまった内容のもので、記紀にあらわれた少数の国造の例とも特にはなはだしく矛盾することもなく、やはり何らかの古伝をもとにしてまとめられたものであろうと思われる。