【遠淡海国】1 遠淡海国造 成務天皇の時、物部連の祖先、伊香色雄(いかごしこお)命の児、印岐美命(いきみのみこと)を国造と定めた。
【久努国】2 久努国造(くのくにつくり) 仲哀天皇の時、同じく伊香色男命の孫の印播足尼(いにはのすくね)を国造と定めた。
【素賀国】3 素賀国造(そがくにつくり) 神武天皇の時、美志印命(みしいにのみこと)を国造と定めた。
以上の三つであるが、この中で、遠淡海国造はもちろん『古事記』にみえる遠江国造と同じである。つぎの久努国造は『倭名抄(わみょうしょう)』に山名郡久努郷とみえている地域の国造を指すものであろうし、素賀国造は佐野郡(さやぐん)素賀村の地方の国造として考えられているものであろう。そして、遠江国造はもとより、久努・素賀国造というものも、全体の状況から判断して、少なくともある時期にこのような国造が置かれていたことを否定するような根拠もない。国造本紀を過信することは危険であるが、この三国造の存在は、一つの古伝として認めてもよいのではなかろうか。そして、遠江の地には、これ以外にもなお幾つかの国造があっただろうという推測もできないことではない。
国造本紀 卜部兼永本 遠江国造の記事(天理図書館蔵)