大和朝廷と国造

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 大和朝廷の盛時にあっては、中央諸氏族は皇室を中心としてよく団結し、地方諸国造もよく中央の統制に服し、むしろ喜んで中央に奉仕し、これと縁を結ぶにつとめたのであろう。こうして氏姓制度のわくの中で、それなりに国力の統一的な集中も可能であったと思われる。この諸国造の下で、人民は従来とさして変わらぬ生活をつづけていたのであろう。
 しかし、やがて大和朝廷の内部では、有力氏族の対立が激化して分裂の形勢を生じ、対外的にも半島問題の処理に失敗して、ここに国家体制の建て直しが要求されるにいたった。そして、その第一歩が踏み出されたのが、かの大化改新である。