国郡の制定

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 この後、大化四、五年ころには第二次の国司派遣が行なわれたらしく、その間に造籍・校田の事業とともに、国郡の区画制定の仕事も進められていったようである。郡は古くは評と称せられたように思われるが、その行政官である郡司には必ず旧来の国造を任命することが改新の詔にも示されている。国郡司制の成立過程を具体的にたどることはできないが、大化改新以来、中央・地方の諸豪族は、このようにしてしだいに官僚組織の中に組み込まれて行き、やがて整然たる令制の政治組織に移行していったのであろう。