しかも、この壬申の乱を平定して飛鳥浄御原(あすかきよみはら)宮に即位した天武天皇の治世において、改新政治はさらに大きな前進をみせた。天皇の権威はいやが上にも高大なものとなり、皇族を上に、群臣は官僚として確実に掌握された。そして、官制の整備・八色姓(やくさのかばね)の制定・部曲(かきべ)の廃止など、統治の組織化が進められ、ついには国史や律令の編纂が熱意をこめて開始された。そして天皇の崩後、その皇后であった持統天皇によって継承せられたこの路線の成果は、ついに七〇一年の大宝律令の制定にいたって結実するのである。