代表的な律令

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 大宝元年(七〇一)に完成し、翌年施行された大宝律令は、わが国でもっとも代表的な律令である。律令という言葉や、また、この律令という基本法典にのっとって国政全般を律するやり方は、もとより中国にならったものであり、大宝律令も唐のそれを手本としたものではあるが、決して唐制そのままではなく、日本の実状を考えあわせて種々の改訂を施してあることは、よく知られている。
 律とは今日の刑法にあたり、各種の罪名と量刑を規定した法典であるが、日常の行政や国民生活に関係の深いものは主に令の方であって、官制を始め、国民の身分・待遇・租税・産業・軍事・交通・文化など、生活のあらゆる面についての規定が掲げられている。もちろんこのような法規の常として、そのすべてが厳格に実行されたとは考えられないが、しかし、少なくとも奈良時代にはかなりよく守られていたことは明らかで、しかもこの基本的な体制は、この後約五百年間、平安時代の末まで一応生活の基準とされていたものである。それではつぎに、この令制に定められた国家の体制と国民生活の大体を述べよう。