これらの貴族ともいうべき一団の有力者に対する待遇は、それより下の者と比べて格段の差があった。たとえば、五位以上の者には位階に応じて位田(いでん)という田地や、位禄という各種の品物が支給されるし、三位以上には位禄に代わって位封(いふ)という封戸(ふご)(食封(じきふ)ともいい、一定数の戸から出る租庸調すべてを支給される)が授けられる。大臣・納言などの高官や国司などの地方官には職(しき)田・職封というような、官職に対しての特別な手当がつく。その額も並大ていのものではなく、しかも位や官が高いほど、飛躍的に大きくなっていく。成年男子に課税される調庸はもちろん免除であり、刑罰に関してさえ減刑の恩典がある。しかも蔭位の制(おんいのせい)というのがあって、五位以上の者の子や、三位以上の者の子と孫は、成年に達すれば自動的に位階を授けられて官途につく道も開ける規定である。
このようにみてくると、令制において、高位高官の者に対する待遇は至れり尽くせりといわなければならない。そしてこれらの位階官職は、たてまえとしては個人の才能に応じて授けられることになってはいるが、実際には、家柄が大きく物をいうのは当然で、しかも当時の社会は今日のような実業界が存在せず、いわゆる在野の実力者などは見あたらない官僚一辺倒の世界であるから、たとえば藤原氏などの一部有力氏族の優位は、容易に動かすことのできないものであった。