こうして、全国民は、高位者・低位者・無位者の三段階にわけられ、整然たる行政組織の中に組み込まれていた。そして従来の中央・地方の有力氏族は、いずれもその地位に応じて高位・低位のいずれかに格づけされ、律令制国家における官僚として再生したのである。その間にはもちろん多少の勢力の交替は免れなかったけれども、大勢としては、大化前代の有力氏族の成員はおおむね有位者として社会の上層に位することを認められたのであった。氏姓制度の混乱した国家を、強力な中央集権的統一国家に切り替えようとした大化改新以来の政府首脳部の努力は、このようにして大きな動乱もなく、比較的順調にその成果を収めたのである。この結果として、整頓された行政組織の力によって、政府は国力を統一的に集中発揮することが可能となった。奈良時代の盛運はこうして生まれ出た律令体制の所産であったということができよう。