労役のおもなものには雑徭(ぞうよう)がある。これは一人年六十日を限って国司の命ずる労働に従事する勤労奉仕の類で、奈良時代後半以後は三十日に半減されたことでもわかるように、これまた少なからぬ負担であった。他に五十戸につき正丁二人の割りで、三年間都の役所で雑役に従う仕丁(しちょう)の制度もあり、次節に述べる兵役の負担もあり、正丁の負担は実に大きいとしなければならない。
これらの調庸を課する台帳としては、毎年計帳(けいちょう)が作られて、戸口・年齢・課不課の別が明記された。この計帳も正倉院に若干の実物が残されている。